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空き家あります。新築です。どうぞ、来てください。とでも、張り紙をしようか…。
5月1日にわが家の畑に置いたミツバチの巣箱。2週間過ぎても、ハチは来ない。今年の5月は、天気も悪いし、気温も低かった。ハチの動きも鈍っているのだろうか。 巣箱は親戚のおじさんが「これ、しばらく畑に置いといてくれへんか」と車で運んできた。 5月は分蜂の季節…ということは知っていた。分蜂とは、ハチが元の巣から分かれて新しい巣に移ること。おじさんは、重箱式というわれる巣箱と、キンリョウヘンという名前のランの鉢をセットでもってきた。 ![]() これがその巣箱。一番下のわずかなすき間みたいな入口からハチが入るらしい。 ![]() そして、この茶色い花がキンリョウヘンというラン。この花の香りがハチを誘引するのだそうだ。 それにしても、ニホンミツバチを育てたことも、間近で見たこともないのに、置いておくだけでいいのか? あずかったからには、ハチが入るところを見てみたいし、「来たよ」と報告したい。 ネットで調べてみたら、キンリョウヘンはかなり効き目があるようで、マンションのベランダに設置しておいた人が、分蜂に成功した例もあった。 ニホンミツバチは野生のハチで、木の洞や床下、墓の中、天井裏などに巣を作るらしい。分蜂は、新しく生まれた女王蜂が巣立つのではなく、もともといた母親の方の女王蜂が働きバチを引き連れて巣を出るのだそう。そのなかで、探索蜂とよばれる偵察隊のハチたちが新しく巣になりそうな場所を探し、いい場所を見つけたらほかのハチを連れて引っ越すそうだ。 畑には巣を設置したとき、イチゴやスナップエンドウ、ソラマメの花が咲いていたし、実もなっていたので、ハチは飛んできてはいると思う。でも、いまだに新築の家は空き家のまま。お気に召さないのだろうか…。単に気づかれていないだけ?ハチが入るか、入らないかは運まかせなのかなぁ。 息子の野球の試合の応援のため、ある球場に行ったときのこと。
球場の周辺は公園になっており、野球関係者だけでなく、親子連れで遊んでいたり、犬の散歩に来ている人もちらほらいる。 そろそろ試合が始まるな…というとき、ピーピーと懐かしい音が後ろから聞こえてきた。思わず振り返ると、小さな女の子がカラスノエンドウの笛を鳴らしていた。 私も小さいころは、よく吹いたものだ。シービービーと呼んでいたのだが、音の感じからそう言っていたのかな? カラスノエンドウのさやを口にくわえて吹くやつだ……あれ?どうやって作るんだっけ? 昔よくやった草遊び。シロツメクサで王冠を作ったり、エノコログサを虫に見立てて、握った手の中からモコモコと出してみたり…。今は作り方を忘れてしまって、できない。 シービービーを吹いている女の子はおじいちゃんと一緒にいた。たぶん、おじいちゃんに教えてもらったのだろう。昔のように身近に原っぱもなくなってしまったけれど、公園や河原には今もときどきカラスノエンドウやシロツメクサ、オオバコなどを見かける。今の子どもたちは、草花を見つけても、それで遊んだりはしないのだろうな。 数日後、自転車で近所を走っていたら、またシービービーが聞こえた。今度は小学校低学年ぐらいの男の子が吹いていて、横にはおばぁちゃんがいた。やっぱり、草笛の吹き方を知っているのは、祖父母世代なんだなぁ。 ![]() カラスノエンドウは「カラスのエンドウ」かと思っていたら、「烏野豌豆」だった。野に咲くエンドウのさやが黒く熟すのをカラスにたとえたのが名の由来。ちなみに、カラスより小型のスズメノエンドウ、カラスとスズメの間という意味のカスマグサもある。 キュウリの旬には早いのだが、食卓に細い短いチビキュウリが並んだ。
「これな。桂高校の生徒さんが作ったキュウリなんやて」と母。 出町柳の桝形商店街のなかの八百屋さんで売っていたらしい。 息子はもろみをつけて、ポリポリとあっという間に食べてしまった。 昨日、仕事の帰りに商店街を通ると、八百屋さんの店先で見つけた。 普通サイズのキュウリの横に、チビキュウリが何本かパック詰めされて並んでいる。 「桂高校で作った胡瓜」と手書きのポップつき。これか。1パック200円。2パック購入。 ![]() 今の季節だからハウス栽培のものだろう。まだ、株が小さいので最初のうちにできた実は、早めに採ってしまい、株の成長に栄養をまわさなければいけない。今だけお目にかかれるミニサイズのキュウリたち。生でポリポリを楽しめるのは、夏の朝採りだけ…と思っていたら、うれしい季節はずれに出会えた。 「あ。あのキュウリや!」と、食卓のチビキュウを目ざとく見つけた息子。 やはりマヨネーズではなく、もろみをつけてポリポリ食べている。 ある女子大生が書いた作文が紹介された。
大学入学が決まり、親と離れて下宿生活をすることになり、明日が引越しという日の夜。いつもは遅くなる父親も「今日は最後の晩だから」と早めに帰宅し、「今日は忙しかったけど最後だし、がんばって作ったよ」という母親の手作りハンバーグで、妹、弟と共に家族5人最後の食卓を囲むことになる。 ハンバーグはありふれたメニューだが、家族みんなが大好き。いつものありふれた食卓で、ハンバーグを一口食べたとたん、涙があふれて止まらなくなる。まさか泣くなんて思ってもみなかったのに、次々涙がこぼれる。「あれ?泣いてるの?あなたが泣くとは思わなかった」と言いつつ、もらい泣きする母。さりげなくティシュを差し出してくれる父。いつも通りふざけあいながら、ハンバーグを取り合いする兄弟。涙と鼻でグショグショになりながら食べ続けたハンバーグはとてもおいしかった。あの日の味は一生忘れないだろう…。というもの。 ハンバーグを一口食べただけで涙があふれ出る。この女子大生は作文のなかで、「あのハンバーグにはすごい力があった」と言っている。けれど、すごいのはこの子の心。お母さんのハンバーグを一口食べただけで涙があふれ出るほど、この子のやさしい気持ちや親に対する感謝の気持ちが育まれていたということ。 誰がこの心を育んでいたのかというと、お父さん、お母さん、兄弟も含めた家族。娘のことを思って早めに帰ってきた父親。忙しくてもファミレスに行くのではなく手作りでハンバーグを作ってくれるお母さん。「あなたのことが大事」と思わせてくれる両親がいたから。 このように家族とともに食卓を囲み、大切に育てられてきた子どもたちが大学生になり、母親がしてくれたのと同じように手作りの食事をしているかというと、そうではない。 今どきの大学生の食事の実態は……。 「何を食べましたか?」というアンケート調査の一部(2009年のデータ) 学生A 昼:食べてない 夜:コンビニ弁当 朝:食べてない 学生B 昼:おにぎりとブラックサンダー 夜:カルボナーラ・コーンスープ 朝:食べてない 学生C 昼:サラダ 夜:アイス 朝:食べてない 学生D 昼:イタリアンバイキング 夜:もみじ饅頭・ミルクティー・スナック菓子 朝:インスタントスープ・もみじ饅頭・スナック菓子 学生E 昼:マクドナルドでハンバーガー 夜:インスタントラーメン 朝:食パンとコーヒー 学生F 昼:パン 夜:パン 朝:パン 学生G 昼:学食でカレー 夜:ファミレスでねぎとろ丼 朝:コンビニおにぎり 学生F 昼:なし 夜:焼きラーメン 朝:アイスクリーム 都会の大学、田舎の大学、私立、公立は関係なく、全国どこでもこんな感じ。 自炊をしている大学生はほとんどいない。 こういう大学生が社会人になり、急に料理ができるようになるか、結婚して子どもができるとできるようになるかというと、そんなことはない。 こういう若者が親になるとどうなるか。 赤ちゃんの離乳食コーナーが充実している。 若いパパとママたちは、子どもにこの離乳食を食べさせる。 しばらくすると、赤ちゃんも自分で何でも食べられるようになる。大人と同じものを食べられる。そのとき、若い親たちは料理を作るようになるか? 保育士130人にとったアンケート。「最近の保育園児の食生活で気になること、驚いたことは何ですか?」 ・朝ごはんを食べていない子どもが多い ・朝ごはんにケーキだけ、シリアルだけ、果物だけ、プリンだけ ・朝ごはんにポッキー。1歳児の朝食がカップラーメン ・朝ごはんにみそ汁を飲んだことがない ・朝ごはんにパンを食べる家庭が4割 ・朝食ぬきのせいか、10時のおやつをガツガツ食べる。昼食までもたない ・夕食に外食が多い。マクドナルドやファミレス、焼肉店など ・夕食にラーメンが何日も続く ・夕食がコンビニ弁当やファーストフード ・日曜になるとマクドナルドへ行きたがる ・子ども連れで21時すぎに居酒屋で食事をしている家庭がある ・外食の話が多い。1歳児のごっこ遊びにハンバーガー、ポテトなどの言葉が出てくる ・「一番好きな食べ物は?」と聞くと、「ラーメン!」と答え、そのラーメン屋さんの話で盛り上がっていた 今どきの保育園児はこんな感じ。でも保育園児に責任があるかといえばそうではない。 問題なのは、この子たちの親。では、この親たちを責めて問題が解決するかといばそんなことはない。この親たちも社会が作り出した被害者。そうやって育てられてきた。 いい成績をとりなさいよ。いい大学に入りなさいよと言って育てられた。「お母さん、なんか手伝おうか」と子どもが言っても、「宿題すんだの?宿題を先にしなさい」と言われ、料理をするより家事をするより、勉強をする方が大事という価値観が生まれていく。親に言われるがまま、一生懸命勉強し、いい高校、いい大学に入り、自炊能力のまったくないまま親になっていく。 こういう親も社会が生み出した結果。だから親を責めているだけでは何の解決にもならない。でも何かを変えていかなければならないー。 ************ *************** ******************** 佐藤先生は、最近の大学生や保育園児たちの食生活の現状を報告したあと、この現状を変えていくきっかけとして、「弁当の日」の取り組みについて話をされた。 「弁当の日」は2001年に、香川県の滝宮小学校の当時の校長・竹下和男先生が始めた。 家庭科で調理実習のある5・6年生が、月1回の「弁当の日」に自分で作った弁当を持ってきて給食の時間にみんなで食べるというもの。 たった1校から始まったこの取り組みは、全国の小・中学校、高校、大学にまで広がり、2012年現在、実施校は1000校を超えた。 「弁当の日」を始めた竹下先生が、「弁当の日」を卒業した最初の6年生に贈った言葉がすばらしい。 ********** ***** あなたたちは「弁当の日」を2年間経験した最初の卒業生です。 だから11回、「弁当の日」の弁当づくりを経験しました。 「親は決して手伝わないでください」で始めた「弁当の日」でしたが、どうでしたか。 食事を作ることの大変さが分かり、家族をありがたく思った人は優しい人です。 友達や家族の調理のようすを見て、技を一つでも盗めた人は、自ら、学ぶ人です。 細やかな味の違いに調味料や隠し味を見抜いた人は、自分の感性を磨ける人です。 旬の野菜や魚の、色彩・香り・感触・味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。 一粒の米・一個の白菜・一本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。 食材が弁当箱に納まるまでの道のりに、たくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。 自分の弁当を「おいしい」と感じ、「うれしい」と思った人は、幸せな人生を送れる人です。 シャケの切り身に、生きていた姿を想像して「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。 登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのを嬉しく感じた人は、慈しむ心のある人です。 「弁当の日」で仲間が増えた人、友だちを見直した人は、人と共に生きていける人です。 家族が手伝ってくれそうになるのを断れた人は、独り立ちしていく力のある人です。 「いただきます」、「ごちそうさま」が言えた人は、感謝の気持ちを忘れない人です。 家族がそろって食事をすることを楽しいと感じた人は、家族の愛に包まれた人です。 先生たちは、こんな人たちに成長してほしくって2年間取り組んできました。 おめでとう。 これであなたたちは、「弁当の日」をりっぱに卒業できました。 ********** ***** (『弁当の日がやってきた』竹下和男著・自然食通信社より) 「弁当を作る」ということを通じて、子どもたちは企画力、段取り力、自己管理力を獲得していく。 昔なら、家庭での家事や仕事などの手伝いを通じて、こういう力を自然と身につけていたのだが、今はその機会もほとんどない。 子どもには本来、自分でできる力があるのに、それをさせない大人たち…。 私たち大人が、考えて行動しなければいけないし、時間をかけて見守っていかなければならないようだ。
ある男子中学生の両親は共働き。忙しいので子どもにお弁当を作る暇がない。母親は子どもに毎日500円渡して、コンビニで好きなものを買うように言う。
最初のうち子どもは、好きなものを買えるのがうれしかった。まわりの子どもたちも、「毎日好きなものが食べられていいなぁ」とうらやましがっていた。 けれど、しばらくすると他の子のお弁当がうらやましくなる。お母さんの手作り弁当が食べたい。けれど、忙しい母を見ていると言い出せない。 そこで、「月に一度だけでいいから作ってくれない?」と頼んでみた。 母親は案の定、困った顔をして、「私が毎日どれだけ大変か知っているやろ?500円渡せるのも毎日一生懸命働いているから。これ以上、無理言わないで」と言う。 子どもはとても悲しそうな顔をして、「お母さん。毎日作ってって言ってないやろ。月に1ぺんだけ。月に一日作ってくれたら他の日はがまんできるのに。月に1ぺんだけ早起きして俺のために弁当作る時間もない? そんなに仕事って忙しい?そんなに仕事って大変?あんたを育てるために一生懸命働いてるのよって言うけどさ、俺、一回だって産んでくれって頼んだ覚えないよ。そんなに仕事が大切なんやったら、俺なんか産まんったらよかったやん」と言う。 ************** **************** *********************** こんな例え話から始まったのは、九州大学大学院助教の佐藤剛史先生の講演。 昨年に続いて参加した、モクモクファームの「全国食育交流フォーラム」での基調講演。 今回も深い内容のお話だったので、講演の内容をまとめてみた。 ************************* ******************************* もし、食べるということが健康な体とか、体を大きくするためだけなら、コンビニ弁当だけで十分カロリーは足りる。野菜が足らなければ、サラダを足せばいい。それでも微量ミネラルが足らないというなら、サプリメントがある。 そういうことではない。この子が一生懸命訴えているのは、「お母さん、ぼくのこと大事? ぼくのことが大事なら、月に一ぺんぐらいお弁当作ってくれてもいいやろ。ぼくのことより、仕事の方が大事なんやないの。弁当作ることで証明してみせてよ」ということ。 「お父さんお母さんがあなたのことが何よりも大事だ。あなたが喜んでくれるのならご飯ぐらいいくらでも作るよ。あなたにはそれだけの価値がある」。そういう見えないメッセージをいかに日々の暮らしのなかで届けていくか。それによって、子どもは「自分は大切にされているんだ。お父さんお母さんはこんなに自分のことを愛してくれているんだ。お父さんお母さんを絶対に悲しませたくない。悲しむようなことは絶対しちゃいけない。自分の命、自分の人生を大切にしよう」という自己肯定感が育まれていく。 「食卓」が子どもの心を育むのだ。 1月28日に開催された「食育祭 in させぼ」の講演会のテーマは、「食べてつながる命、育つ心」。講師は九州大学大学院農学研究院助教の比良松 道一先生。研究室の女子学生が始めた「弁当の日」に参加し、食育に目覚め、専門の研究の傍ら、大学生が自ら弁当を作って交流する「大学生版・弁当の日」の実践をしている。
講演で聞いた話から *********** 小学生に質問。「朝ご飯を食べましたか?」 ほとんどの小学生が「食べた」と答える。 「なんで、食べるの?」 いろんな答えが出たなかで、「食べないと死ぬから」と答えた子どもが一人。 「食べなければ死ぬ」ということをわかっている子どもたちがいない。今の子どもたちには、飢餓体験もない。「生きるために食べる」ということがわからない。飽食の世の中で、食育を考えていくことは難しい。 「この1週間で何㎏食べましたか?」 小学生でも1日2㎏、1週間で14㎏は食べている。でも、体重が14㎏増えるわけではない。 「あなたが食べたものは、どこへ行きましたか?」 1週間で15㎏食べたとして、便で6㎏、汗で3㎏、息(炭素)で6㎏体から排出されている。 動物が吐き出した二酸化炭素を使って、植物が体を作り、それを動物が食べる。命はつながっている。 「You are what you are」 命とは、毎日、こわされながら、つくられています。命とは流れです。 大学生に質問。「日本の農業は大切ですか?」 大学生の98%が「yes」と答える。 「なぜ、大切なのですか?」 大学生は日本の食料自給率を気にしている。日本で育てられた米や野菜を食べなければいけないという思いはある。 「いつ、どこで、誰と、何を食べましたか?」(アンケートを実施) 大学生の4割が自炊をしていない。4割が朝ご飯を食べていない。2割が大学に入ってからご飯を炊いたこともない。学食では定食(多品目を食べる)が売れず、丼物やうどん(単品)が売れる。 誰が日本の農業を支えているのか?(農家は日本人の3%) この大学生たちは、小学校のころ、「早寝、早起き、朝ご飯」と教えられ育ってきたはず。 教育が「森を見て、木を見ず」であるから、いけない。 肉に注射針をさし込み、脂を注入するインジェクション処理した「霜降り肉」。 「やめられない、とまらない」のは、それがドラッグだから。 2年後でも大丈夫な(腐らない)コンビニのシュークリーム。死なない食品=「ゾンビ食品」という。 今の世の中には、こんな「食べ物」がいっぱい。 「何を食べるか」も大事だが、「どう食べるか」も問題。 大学生の56%が「一人で食べる」と答えている。 東京大学のトイレ内に「タバコ×、落書き×、食事×」という張り紙がある。 「人に食べているところを見られたくないから」と、トイレで食べている人がいる…という事実!! 日本にはたくさんの捨てられる命がある。 日本人が1年間に捨てる食べ物は、2000万トン(福岡ドーム13個分)。 日本人が1年間に作るお米は1000万トン。 小学校の給食の残飯は、1割で優秀な方。ほとんどは、もっと多い。 残飯がゼロの学校は、月1回の家庭科の時間に「弁当の日」を実施していた。 ※「弁当の日」とは、香川県綾川町立滝宮小学校に勤務していた竹下和男校長が、子どもと家庭に「くらしの時間」を増やすことを目的に、2001年から始めた試み。献立作りから、買い出し、調理、箱詰めまで、親は一切手伝わず、子どもだけで作るのが特徴。 「弁当の日」に、親が弁当を作った子どもは、弁当を隠し、自分で作った子は堂々と見せる。 誰かに見てもらって、みんなで食べた方がいい。子どもにあこがれを見せると、どんどん自分の力でやるようになる。小さい子どもはうらやましがり、小さいうちから練習しようとする。小さいころから「お母さん、教えて」と言うようになる。 大学生がおかず1品持ち寄りの「弁当の日」を実施。 大学生は「いただきます」の瞬間に、自分のだけが残ったらどうしよう…と思っている。だから、人のおかずをほめたり、レシピを教えあう。そして、「弁当の日」の感想文に、高校時代、毎日母親が弁当を作ってくれたことに対する感謝の言葉が綴られる。 ***************************** 私が食について危機感を持ち始めたのは、10年ほど前。当時の大学生の食生活にショックを受けたからだが、10年経ってさらに状況はひどくなっている気がする。 私自身は、高校生のときまでほとんど料理をしなかったが、大学生のときの一人暮らしで鍛えられたと思う。当時はコンビニもなく、田舎だったので外食できるところも限られていて、自分で作るしかないという状況ではあった。おまけに、電子レンジもなく、冷蔵庫も冷凍室のない1ドアのものだったし、台所は下宿で共同。時間を工夫してどうにか毎日自炊していたものだ。 でも、今や、どんな田舎に行っても、コンビニも自動販売機もあるし、食べようと思えばいつでもどこでも食べ物が手に入る。 学生から始めていては遅いのかもしれない。幼児や小学生のうちから、きちんと伝えていかなければ、一生自分で作ることも、その必要性も感じないままに終わってしまうかも…。 「弁当の日」の取り組みとその後の子どもたちの変化については、『食卓の向こう側』(西日本新聞社)を読んで、西日本新聞社の佐藤弘さんの講演を聞いて、マンガ『玄米せんせいのお弁当箱』(小学館)を見て共感している。京都でも何とかして広めていけないかなぁと考えているところ。 食育は難しいし、すぐに結果が出るものではないのだが、できることから少しずつ始めていこうと思う。続けることで、広がっていくということは、今回の食育祭で実感できたから。 ![]() これは、講演者の比良松先生が、「弁当の日」に家族と一緒に作ったもの。楽しそう! 「食育」という言葉はあまり好きではない。というより、どうも体にしっくりこない。
「食育」という言葉は、石塚左玄が1896(明治29)年・1898(明治31)年の著作のなかで、「体育知育才育は即ち食育なり」と造語したもの。「子どもに食べさせる食品の影響によって子どもの心身を養う」という意味で用いた。 彼の著書を読んで共感していた報知新聞編集長の村井弦斎が、1903(明治36)年に連載していた人気小説『食道楽』の中で、「食育」という言葉を使用した。(フリー百科事典『ウィキペディア』より) そんな明治時代の造語が、広く使い出されたのはここ10年くらいのこと。平成17(2005)年に「食育基本法」が成立してからは、やたら耳につき始めた。 外食産業や食品製造会社、食関係の出版社に勤めた経験から、仕事で「食」に関わることが多かった私は、ずっと「食」に関心を持ち続けてきたが、「何かおかしい。何とかしなければ」と危機感を持ち始めたのも、ちょうどそのころからだ。 危機感を感じたのは、一人暮らしの学生向けの料理本の編集がきっかけだった。資料として読んだ『食卓の向こう側』(西日本新聞社)の影響も大きい。何かしなければ。私にできることは?と、ずっと気になりながらも、具体的に動くとことができずにきた。 昨年2月に「全国食育交流フォーラム」(三重県・モクモクファームで開催)に参加したのも、今回「食育祭 in させぼ」に行ってみたのも、『食卓の向こう側』つながりだ。「食」を取り巻くさまざまな問題を、「できることから何とかしたい」と、そのヒントになりそうな何かを求めて動いてみると、「食育」という言葉に出会うことが多くなってきた。 「食育祭 in させぼ」は、長崎県佐世保市に事務局のある「大地といのちの会」主催のイベント。『食卓の向こう側』の中でも登場した吉田俊道さんが代表を務めている。吉田さんは生ごみリサイクルで生まれた土で元気な野菜を育て、食べることで、いのちの大切さを伝える活動をしておられる。 「生ごみリサイクル元気野菜」の取り組みに共感した私は、昨年春に佐世保の事務局まで出かけ、詳しいやり方も教えていただいた。講師の一人である中尾慶子さんが、大学の後輩であることがわかり、精力的に活動されていることを知り、刺激になっている。 食育祭は今年が第6回。メインの講演会をはじめ、昔ながらの製法で取り組む農産物や加工食品の生産者による展示・販売会、元気野菜や発酵食品の食べ比べ、、クッキングコンテスト、試食会、血管年齢や骨密度測定、保育園や小中学校の取組の紹介や展示など盛りだくさん。 昼食用に販売されていた弁当も、健康的な美味しいお弁当で、大満足だった。 ![]() 保育園の熱の入った展示、その取り組みのパワーには圧倒された。 ![]() ![]() 熊本・南阿蘇地方に伝わる伝統的な「ふさ切り」で作った切干大根。 ![]() 試食もさせてもらい、「帰ったら作ろう」とレシピもいただいた、子どもに食べさせたいおやつ。 ![]() 納豆も手作り!の保育園。「ワラが手に入りにくいでしょう?」の質問に、「園長先生の家で育てたワラです」と保育士さん。いい環境にあるんですね~。 ![]() 節分の日の給食メニュー。豆は煮豆に、金棒はイワシのすり身でできてる。鬼の顔が巻き寿司。 ![]() こんな野菜も、 ![]() こんな果物も、すべて園庭の畑や木から収穫して食べるなんて、うらやましい限り。 ![]() 中学1年生が「弁当の日」に、こんな弁当を自分で作れるとは! ![]() 「弁当の日」に取り組んだ中学生の感想文には「感謝」の文字が多い。これこそ「食育」だ。 息子がお世話になった保育園も、給食や子どもクッキングには力を入れておられたので、親としては6年間本当にありがたかったのだが、九州の保育園のレベルの高さには驚いた。 ここで展示されていた保育園のほとんどが、「大地といのちの会」の「生ごみリサイクル元気野菜」に子どもたちと一緒に取り組んでおられる。 ある保育園では、だしの飲み比べをされており、試飲させていただいた。一つは昆布とアゴ(=トビウオ・九州では一般的)、野菜の皮やヘタから取っただし、もう一方は粉末のだしの素で作っただしである。 昆布や野菜で取っただしは、いろんな甘みや旨味が口の中に広がる感じ。だしの素で作った方は、飲んだ直後は「美味しい」と感じるのだが、味が単調。園長先生は、「だしの素は塩気ばかりが立つ。野菜だしは調味料をほとんど加えなくても味がある」と話された。この園では、育てた野菜をできるだけ皮ごと、まるごと食べ、残った皮や芯、芽の部分はだしを取るのに使っている。そこまでできるのは、元気な野菜、それが育つ健康な土があってのことだ。そんな元気な野菜を食べて育つ園児たちもまた、元気いっぱいの健康優良児なのだろう。 土から野菜、人間のいのちまでつながっていることを、実感できる展示だった。 今年の三が日も着物で過ごしたが、着物だけではこの時期やっぱり寒い。
古い家なので暖房があまり効かないせいもあるが、洗濯物を干したり、水菜を取りに庭へ出たり、布団を敷きに二階の部屋へ上がったりと、寒い場所での仕事もある。 「赤いニットがあったやろ」と母に言われて思い出した。 そうそう。昔よく母が着物の上に着ていた赤いニット。確か箪笥に入れたはず…。 ![]() もらったことを忘れていた。これを着て、上から割烹着を着ればぬくぬくで、仕事もはかどる。 母も昔は、お正月はずっと着物を着ていた。そのころは部屋ももっと寒かったので、必ずこのニットを着物の上から羽織っていた。今も着物で出かけることは多いが、家に居るときはさすがに着ない。用なしとなった着物用ニットは、私の箪笥の中へ。 私はお正月だけでなく、今日は家にこもって原稿書き…という日は着物で過ごしたりもする。 着物は重ね着しているとはいえ、どことなく寒い。というか、冷たい感じ。そこに1枚、毛のものを重ねるだけで、背中がぬくい。 足先の冷え対策は、ふかふか厚手のダブルネル足袋を買ったおかげで解決した。 これで今年の冬も、ぬくぬく着物生活。っていうより、今どきこんなニットを着てまで、着物を着たい人いないか…。それより、家が寒すぎるだけか…。
今年もアメリカから妹一家が帰国。妹の子どもたちがアメリカでクリスマスにもらった“お菓子の家”を、お土産代わりに息子にくれた。友達のお母さんの手作りだそう。
![]() セロファンでラッピングして、きれいなリボンでくくってあった。クリスマスツリーのオーナメントにもできるらしい。姪っ子の名前入りだが、まだ2歳で食べられないので、息子にくれたというわけ。包みを取ると、ふわりとシナモンのような香りが。クッキー生地に香辛料を入れて焼いてあるらしい。可愛いし、おいしそう。 クリスマスといえば、やっと我が家にもサンタさんが来なくなった。 今年の夏ごろだったか、息子が突然、「母ちゃん。サンタさんは、母ちゃんなん?」と聞いてきた。「そやで。やっと気づいたか」と即答した私。毎年、欲しいものを聞き出し、クリスマスまでにこっそりプレゼントを買ってきて隠し、当日、息子が寝入るまで待ってから枕元に置く一連の作業が大変で、いい加減早くバレてくれ~と思っていたのだ。かと言って、こちらからバラすのもなんとなく気がひけて、学校で友達が「サンタなんかいいひんで」と、真実をしゃべってくれないかぁと他力本願の数年であった。 ![]() こんな手紙(これは8歳のときのもの)と一緒に牛乳を入れたカップとクッキーが置いてあり、わざとクッキーをかじり、牛乳を飲んでおいた日もあったなぁ。 ![]() これは昨年の手紙。まぁ、手紙に書いてある通りのプレゼントは、ほとんどもらえなかったわけだが。 それでも喜んでくれそうなものを毎年考えるのは、結構しんどかった。 子どもたちには楽しいイベント続きの年の瀬だが、大人にとっては仕事も追い込みだし、あれやこれやと忙しい時期なので、一つ大仕事が減ってやれやれだ。 でも、ちょっとさみしいような気も…。
年内最後になるであろう仕事で、雑貨店に取材に行った。
商品を撮影していると、店の前を黄色いランシュックを背負った小学生が3人、はしゃぎながら帰っていく。「明日から冬休みやから、テンション高いんでしょうね…」。カメラマンさんもお店の人も、思わず外を見つめる。その横をジャージ姿の高校生らしき一団が、タッタッタッと走り抜ける。「あぁ、明後日は、高校駅伝でしたね」「ここもコースになってるんですけど、お向かいのデザイン会社さんは、駅伝のとき沿道の人たちにおぜんざいを振舞われるんですよ」「へぇ~。そうなんですか」 店内や外観を撮影するとき、「すみません。クリスマスっぽい飾りは、いったんはずしていただけますか」とお願いしなければならない。そう言ってみて初めて、もうそんな季節なんだ…とあらためて気づく。 10月以降、何だかんだとバタバタ過ぎていき、気がつけば、郵便ポストの投函口にには「年賀状」の文字が…。今年のデザインは浮かんでいたが、印刷したのはつい2~3日前だし、宛名書きまで手が回らない。 取材の帰り道、「昨日は終い弘法で、すごい人出でした」とカメラマンさん。彼女は東寺の近くに住んでいるのだ。「そういえば、明後日の終い天神は日曜日で、しかも高校駅伝と重なってますよね。道は大丈夫なんやろか…」「その日は取材は入ってないし、よかった。車が動きませんもん」 冬休みやクリスマスやお正月やお年玉や、楽しいことばかりが続く小学生。 あれもこれも、年内に仕上げとかなあかん…と気ぜわしい私。 今年も、あと1週間。
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