カテゴリ:京都( 5 )

お盆に思う。

お盆に入ったチラシ3種。
 お盆にはお寿司。……お盆に魚?
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 お盆に焼肉。……お盆にお肉?
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 お盆のお供えものは、お盆に入れば値下がりする。25日のクリスマスケーキのように…。
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 今では当たり前のことなのかもしれないが、私にはどうも違和感がある。
 小さいころ、「お盆には虫や魚はとったらあかん」(殺生はあかん)と親に言われ、つかまえた虫や魚は逃がしてやった。
 お盆には家に親戚が集まることが多かったが、お寿司や焼肉を食べたことはないし、普段通りのおかずだったと記憶している。 

 中学生のころだったか、お盆に友達の家に初めて遊びに行った。私立の女子中学校に通っていたので通学圏が広く、 友達の家へは電車とバスを乗り継いで行った。夏休みも毎日クラブ活動があったため、お盆休みにやっと遊びに行けたのだ。
 その日のお昼ご飯は、おにぎりと漬物、胡瓜とわかめの酢の物、味噌汁だった。友達のお母さんは、「ごめんね。今日はお盆やし、これで」と言った。わざわざ遠くから来てくれたのに…と申し訳なさそうだった。私は、お盆だからと、肉や魚を使わない精進料理で、きっちりすごしている友達の家に感心してしまった。いただいたお昼ご飯は食べ盛りの中学生にしては質素だったが、おくどさんで炊いたご飯で作ったおにぎり、お母さんが漬けたぬか漬けがとてもおいしかったことを覚えている。友達の家は大きな材木商だったので、余った端材を食事やお風呂に使っていた。当時でも珍しい、台所にはおくどさんがあり、お風呂は五右衛門風呂だった。

 お盆は、仏壇がいつもより華やかになり、人が集まり、浴衣を着せてもらったり、くるくる回る盆提灯がきれいだったり、子どものころは、なんとなく楽しかった。けれど、ワイワイ楽しむお祭りではないことは感じていたし、静かに進行する楽しい行事という感じだった。大人になってもお盆といえば、お墓参りと大文字の送り火ぐらいにしか関わってはいなかった。
 5年前に父が亡くなり翌年の初盆のとき母が入院中で、お盆のあれこれを私がしなければならなくなり、初めてその大変さがわかった。
 母から、お盆にしなければいけないことを書いたメモを渡された。
<お盆>10日ごろ、六道さんへお迎えに行く
 13日 花菓子、迎え餅(2個)、仏花(蓮入り)、盛物(大きい蓮の葉の上にのせる)。花屋で大きな蓮と一番小さな蓮を買う
 14日 おはぎ、そうめん(にゅうめん)、干椎茸細切り入れる
 15日 スイカ、白蒸し(近くのおまん屋さんにある)
 16日 早朝にご飯、アラメ煮(ひじき)揚げ入り、送り餅(2個)
      普通の仏花にする、すまし汁(ふ・椎茸入り)とろみをつける

 この一連の事々を嫁いで以来、母は毎年やってきていた。私は一度もしたことがなかったが、見てはいたのでメモを見ただけでなんとなくできた。

 父や祖父母の眠るお墓は、家から歩いて15分くらいのお寺にあり、毎年お盆と年末の檀家掃除のご奉仕には、私と息子が行っている。息子が小学校に上がる前から連れて行っていたのだが、本堂の長い廊下や階段の雑巾がけを丁寧にやってくれ、奉仕に来られている檀家さんたち(ほとんどがお年寄り)から頼りにされ、「えらいねぇ。うちの孫なんて家で寝てるわ~」と、ほめられ続けてきた。息子にすれば、ご奉仕のあとに出される夏はアイスクリーム、冬は菓子パンやみかんが楽しみで行き始めたのだが、6年生までずっと続けてついてきてくれたのは、檀家さんたちから「えらいね~」とほめられ、頼りにされることがうれしかったのかもしれない。家でも学校でも、一日にこんなにほめられることなんてないもんな~。

 今年、中学生になった息子。お寺の掃除はクラブ活動で行けなかった。お盆休みに入ったとたん、起きてくるのも昼前の生活。墓参りに行く前日、「明日は朝早くお墓に行くしな」と私が言うと、「朝、起こしてや」と息子。朝、どうせ起きてこないだろうと思っていたのに、ちゃんと起きて墓参りにもついてきた。桶に水を入れて運び、墓石にかけるのが彼の担当。「昔は、せのびして水かけて、自分にかかってたりしてたな~」「今は完全上から目線で水かけてるもんな」。母も思わず微笑む。

 近所の商店街の、ある店の前の小さな黒板には、毎日、お客さんに向けての言葉が書かれている。
 昨日書かれていたのは、こんな言葉。「みんなに今日、集まってもらったのは、ほかでもない。 by 先祖」。

 お盆にこんなことを感じるようになったのは、私もあちらの世界に近くなってきたからかな?
 お盆を過ぎたら、私は50歳の誕生日を迎える。
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by dodo-55 | 2013-08-13 17:34 | 京都

鬼が来た!

 今年の節分は暖かかった。おまけに日曜日と重なり、節分行事の行われる京都市内の社寺は、たくさんの人でにぎわっていたようだ。

 来月、小学校の卒業式を迎える息子にとっては、今はもう節分と聞いても、巻き寿司と豆まきが楽しいイベントの一つとなっているが、保育園時代は1年で一番大変な日だった。
 吉田神社の近くにあった保育園では、節分の日に吉田神社から鬼たちがやってくる。その鬼たちを退治するために、1歳児から6歳児まで各クラスで対策を考え、“その日”を迎えるのだ。
 鬼たちの正体は、保育士の先生1名と保護者が4名。保護者には子どたちに内緒で事前に「鬼募集」の連絡があり、希望者を募る。息子が年長組のとき、同じクラスのお母さんと二人、「今年が最後やし、やろか」と名乗りをあげた。看護士であるそのお母さんKさんも私も、午前中の仕事を半休しての参加だった。

 先生鬼とお父さん鬼2人、お母さん鬼2人は、それぞれ色違いの鬼の衣装を身につけ、怖い面をかぶり、鬼になりきる。私とKさんは、膨らませた風船を胸に入れ、ナイスバディな女鬼に。お腹にタオルを巻いた黄色鬼のお父さんは迫力があり、ほんまに怖い!!
 3歳児までのクラスは、ガラス張りの外から子どもたちをおどかすだけで、部屋の中には入らないこと。大きい子のクラスは部屋まで入って、「手加減せず、徹底的に暴れてください」と保育士の先生から説明を受ける。「ただし、器物破損までは…。何年か前、ガラスを割ってしまった方がおられたので…」という先生の言葉を聞いて、笑いながらも気合が入る。

 子どもたちには正体がばれないように、保育園の裏口から入り、職員用ロッカーで着替え、給食室の裏に集合後、記念撮影。
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 それぞれ手に一升瓶や金棒を持ち、雄叫びをあげながら、正門から入っていく。ガラス越しに見ていた子どもたちが騒ぎ出す。「来たぁ~。鬼、来た~」。すでに泣いている女の子も。小さいクラスはほぼ全員大泣き。それでも先生と一緒に、新聞紙を丸めて作った豆を投げ、応戦。鬼たちは乗り出すように怖がらせながら、しばらくしたら豆にあたったふりをして、退散。

 いよいよ、大きい子のクラスへ。子どもたちが怖がるようすや泣く顔を見ていると、ギアが入る。うぉ~と低い声で叫びながら、金棒ふりまわし部屋へ突入。顔につけている鬼の面は、目の部分だけが開いているので、子どもたちにはバレずに、こちらからはよく見える。「鬼なんて全然怖ないで」と家で豪語していた息子のこわばった顔。さすがに泣いてはいないが、顔がひきっている。女の子はほぼ全員泣いている。
 
年長クラスの鬼退治作戦は、鬼の好きなお酒を机に置いておき、鬼がそれを飲んでいる間に、天井につるしたバケツから豆を落とすというもの。ひとしきり暴れたあと、机の上の「鬼ころし」のパックからお酒をカップに注ぐふりをして、がぶがぶ飲む(ふり)。しばらくして、座り込みこっくり、こっくり、寝てしまう(ふり)。
 「あ~。鬼寝た~。寝てるで~。今や~」と子どもたち。天井から豆(新聞紙の)が落ちてきて、「痛い、痛い~」と退散。

 鬼になりきっているうちに暴れることが気持ちよくなり、マラソンハイならぬ、鬼ハイ(?)のような状態に。ちょっとのつもりが、激しくなり、これって何か危ない…と自分でも思いつつ、鬼役を楽しんだ。ちなみに、Kさんは暴れすぎて、子どもたちが盾にしていたロッカーを乗り越えて突入した勢いで、胸の風船が片方割れてしまい、一時退散。先生に丸めた新聞紙を胸に入れてもらい、応急処置してもらっていた。
 全員退散後、控室でその日の給食のイワシと巻き寿司をごちそうになりながら、鬼たちは口をそろえて、「快感!」。ほんとに一度やったら、やめられない。

 家に帰ってきた息子は、鬼がお酒を飲んで寝てしまったこと、ロッカーを乗り越えて鬼が入ってきたこと、怖かったけど頑張ったことなど、話してくれた。「あれは、母ちゃんやったんやで」というのは、絶対に言わないようにと保育園で言われていたので、私は黙っていたけれど。

 毎年、毎年、節分の日は子どもたちは本当に怖かったようで、小学校に入学したとき息子が「母ちゃん。小学校には鬼来いひん?」と聞いたのが何よりの証拠。
 あぁ、でもあの快感は、忘れられない。節分が来ると、鬼がしたくなる。保育園で「OB保護者の鬼募集」ないかな~。
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by dodo-55 | 2013-02-06 11:44 | 京都

初詣でお年玉GET!?

 毎年、元旦にはまず氏神様である上御霊神社にお参りに行き、そこから歩いてすぐのお寺へ墓参りに行く。初詣だからとわざわざ伏見稲荷や平安神宮へは行かない。人が多いし。上賀茂神社や下賀茂神社へは散歩がてらに行くことはある。何せ近いから。考えてみれば、贅沢な環境だ。世界遺産の神社がすぐ近くにあり、自転車でまわれば初詣に行ける神社がゴロゴロあるなんて。
 

 今年は、墓参りのあと御所の中をぬけて、護王神社へ出かけた。足腰の守護神として有名なこの神社は、狛犬ならぬ狛猪があることでも有名。御祭神である和気清麻呂が、都より九州の宇佐八幡宮へ向かう途中、300頭もの猪が現れて道中を無事に案内し、清麻呂が悩んでいた足萎えが治ったという故事により、足腰の健康保持やけが、病気の回復に御利益があるといわれている。

 この神社にお参りしたのにはわけがある。2月の大文字駅伝に向けて毎日陸上の練習に励んでいる息子が、11月の予選のあとの膝のけがに続き、年末にも友達と鬼ごっこ中にこけて膝を強打するなど災難続きなので…。それに私も、今年はもっと走る距離をのばそう、レースにも出ようと思っているところなので。
 「やっぱり、マラソン関係が多いなぁ」と絵馬を読む息子。「○○マラソン完走できますように」とか「今年も健康で走れますように」というのが多い。それに、足のけがや病気、手術の完治を祈願するものも。
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 さて、ご利益はあるかな…。ご利益といえば、この神社の前に自転車を止めたとき、お年玉を拾った。私の自転車の下に、ミッキーマウスの絵柄のポチ袋を発見。拾ってみると、中身も入っている!(1000円札)。息子が「あっ!ここにも」ともう一つ発見。その袋には2000円!二つとも「○○くんへ」と名前が書いてある。想像するに、孫へのお年玉袋を、何かの拍子にかばんから落としてしまったのだろう。お年玉を落として、どうすんねん!って、でもこれ、どうする?警察へ届ける?
近くに派出所もないし、結局、神社の受付へ届けておいた。新年早々、縁起がいいような、でも、もらっとくわけにもいかないし…。「お年玉」ならぬ「落し玉」だった。

 

 

 
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by dodo-55 | 2013-01-01 16:38 | 京都

雪の朝のひとコマ

大晦日以来、再び雪が積もった日の朝。
遠くから「お~~」の声が聞こえたので、母と妹、甥っ子があわてて外へ。
甥っ子は靴を履くのももどかしく、母のつっかけで雪の上。
托鉢にまわってきた大徳寺のお坊さんに、小布施を渡すためだ。
一人目はすでに家の前を通り過ぎていたのを、わざわざ呼び止めて戻ってきてもらったらしい。
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甥っ子は小さな手に小銭を握り締めて、二人目、三人目が来るのを待っている。
かつては私たち姉妹も、そしてつい最近までは私の息子も、「お~~」の声が聞こえたら、こうして外で待っていたものだ。
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わが家の前は、たいてい8時を過ぎてから通られるので、息子が学校に行くようになってからはこんな風景も見られなくなった。
そういえば、いつだったか、自転車で保育園へ行く途中でお坊さんを見つけた息子が「どうしても渡す」と言い張り、自転車の上から小銭を渡したこともあったっけ…。
修行とはいえ、何もこんな日に…と思うほど雪の積もった中を行く、裸足でわら草履のお坊さんの足は「雪があたって赤うなってた…」と妹。どのぐらいの距離を行かれるのだろうか。
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by dodo-55 | 2011-01-19 21:11 | 京都

冬の風物詩

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農園へ向かう途中、上賀茂で野菜の振り売りを見かけた。
大根、カブラ、ネギや葉ものが積まれている。今年は暖かい日が多いが、売られている野菜を見れば、「12月やなぁ」と実感する。
うちへ来るおばちゃん(なかちゃん)も、昔はこのような大八車を引いてきていたが、今は軽トラだ。
大八車はよく見れば結構長い。これを女性一人で引いて、町に売りに行くのだから力が要るだろう。
大八車は江戸時代初期から使われ、その名の由来は、八人分の働きをするから、古来車の多かった滋賀県大津の八町の名から、車台の長さが八尺(約2.4m)あるからなど諸説あるそうだ。(『絵引・民具の事典』/河出書房新社より)

以前、92歳まで大八車で花売りを続けた白川女の女性を取材したことがある。花売り稼業70余年を共にした車は、引退したあとも家の倉庫に大切にしまわれていた。おそらく、毎日手入れして、何度も修理したりタイヤを替えながら、大事に大事に使われていたのだろう。

野菜を売っていたこのおばちゃんと大八車はあと、何年見ることができるだろうか。
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by dodo-55 | 2010-12-14 09:49 | 京都