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昭和の暮らし ハレの日 「目黒 雅叙園」

 東京でライター仲間との勉強会があった日、昼過ぎに東京入りしたその足で、大田区の「昭和のくらし博物館」へ行った。玄関脇の小さな応接間(今ではこの言葉も懐かしい)で、お茶をいただきながら、学芸員さんとしばし歓談。「夕方に目黒に行く」と話したら、「目黒の雅叙園には行かれたことがありますか?あそこもすばらしいですよ」と教えてくれた。
 
JR目黒駅から歩いて10分余り。名前からして「立派な庭園のある大きな料亭」というイメージだったのだが、道行く人に尋ねてみると「向こうに見える白い建物です」とのこと。近づいていくと、それは近代的な大きなホテル。確かに、教えてくれた学芸員さんは「今はホテルの中にある」と言っていたが…。
とりあえず、ホテルの入口に向かう。入ってすぐ、「文化財 百段階段で観る 目黒雅叙園の魅力展」というポスターが見える。受付で入館料を払い、エレベーターまで案内される。ここまで来てようやく、ホテル内に特別に保存されている場所だと気づく。

目黒雅叙園とは、昭和6年に作られた本格的な北京料理・日本料理を提供する料亭。その後、昭和18年まで次々と建物を建設。螺鈿、日本画や彫刻、手の込んだ組子の建具、銘木など豪華な装飾に埋め尽くされた建物は、当代一流の芸術家、庭師、左官、建具師、塗師、蒔絵師など数百名が参加し、現実から遊離した世界を作り上げたという。昭和13年ごろには、写真、美容、着付け、挙式を一貫して行える総合結婚式場のシステムを日本で最初に考案し、花嫁の憧れの場所だったそう。

「昭和の竜宮城」と呼ばれた目黒雅叙園は、平成3年にそのほとんどを取り壊し、旧建材に使われていた造作材や絵画、木版画を活用し、結婚式場、宴会場、宿泊、レストランをリニューアルオープンしたらしい。そのなかで、現存する唯一の木造建築が、かつての目黒雅叙園3号館にあたる「百段階段」。ケヤキの板材で作られた99の階段廊下でつながれた7つの部屋が連なり、各部屋には樹齢100年を超える床柱や天井や欄間には当時屈指の著名な作家たちによって創られた世界が描かれており、東京都指定有形文化財に指定されている。

立派な日本庭園のある歴史的建造物である料亭なら、京都にいくらでもある。歴史的には圧倒的に京都の方が古いだろうし、有名な作家や芸術家が利用した店というのも多い。けれど、雅叙園のすばらしさは、これが庶民のためのものだったということ。極彩色の木彫りや漆の螺鈿細工など、日本の伝統美が惜しげもなく施された部屋は、それまで料亭は「上流階級だけが行く特別な場所」であったのを、「庶民でも別天地の贅沢を味わえる場所」にしたのだという。

これでもか!といわんばかりに豪華絢爛な部屋は、少々成金趣味っぽく感じなくもないが、ハレの日をここで迎えることが当時の庶民には憧れだったのだろう。雅やかな7つの部屋はもちろん見応えあるが、私が一番魅せられたのは、百段階段そのものだった。高低差16m、長さ60mに及ぶ階段は実際には99段で、ケヤキ板に漆の塗りが施してある。

黒光りしたその階段を毎日どれだけの人が上り下りしたのだろう。婚礼は一日に100組を超えることもあったそうだが、私が以前、大型ホテルで花の仕事をしていたとき、婚礼は多い日で20組。それでも、装飾花やブーケや花束の制作で、前日からほぼ徹夜。当日は目が回るほどの忙しさだった。その5倍の婚礼があるとしたら、料理や給仕の人たちの忙しさはどれほどだったか、想像もつかない。
しかも当時は当然着物。料理や荷物を持っての上り下り、大変だっただろうな。

資料によると「女中は住み込みで、毎月仕事着の着物、草履が新調された。女中はお茶やお花、裁縫まで教育され、『嫁は雅叙園の女中さん』といわれるほどだった」らしい。そんな女中さんたちが、日々忙しく立ち働き、ぴかぴかに磨きあげてきたからこそ、今もこの階段のツヤが保たれているのだろう。
きりりとたすきをかけ、雑巾で一心に床を磨く女中さんや、忙しく料理を運ぶ女中さんの姿が、今にもそこここに見えるような気がする。
ここにもやっぱり、宴会や婚礼を楽しむ人や、忙しく働く人たちの声や音までもが残っている。保存されているのは、雅な美術品や建具だけではなく、そこにあったハレの日の暮らしや息づかいだ。
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by dodo-55 | 2012-07-27 11:35 |

昭和の暮らし ケの日 「昭和のくらし博物館」

 「昭和のくらし博物館」(小泉和子著/河出書房新社)という本が私の手元にある。 ちゃぶ台、火鉢、湯たんぽ、足踏みミシン、ねんねこ半纏など、本に登場するモノや暮らしの写真が懐かしく、時々、何度もページをめくっては楽しんでいる。
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 この本の著者で生活史研究家の小泉和子さんが生まれ育った実家は、そのまま「昭和のくらし博物館」として保存、開放されている。 
 東京でライター仲間との勉強会に参加したとき、ふと思い立ち、以前から気になっていたこの博物館へ行ってみた。

 博物館があるのは東京都大田区久が原。東急池上線の久が原駅から、商店街や住宅街を10分ほど歩く。地図によると、目印になる医院の脇の道を入ったころにあるはずなのだが、それがまた道というにはあまりに細いすき間のような道で、行き止まりではないか…とドキドキしながら進むと、突き当りを曲がったところに、あった! 思わず駆け寄りたくなるような、かわいい家。
 昭和26年に建てられたというその家は、建坪わずか12坪。玄関を入ると小さな洋間が1つ。四畳半の茶の間に小さな台所が付いて、その奥に6畳間。2階は4畳半の和室が2部屋だけ。ここに、当時は著者を含めて4人姉妹と両親、下宿人まで住んでいたのだそうだ。

 「下宿」という言葉も今ではあまり使わなくなった。昔の学生は「一人暮らし」ではなく、たいていは間借りの下宿生活だった。私の家も下宿をやっていて、1軒家を一部屋ずつ3人の学生に貸していた。私が大学生だったときも、大家さんの離れに下宿だったし、お風呂はもらい湯、電話は呼び出しだった。

 家が小さい割には庭は広いなぁと思っていたら、敷地は55坪あり、建坪は制限があって1,2階合わせて18坪ぎりぎりだそうである。物干し台が見あたらないので、洗濯物は庭に干していたんだろうなぁ。サザエさんの家みたいだなと思っていたら、「庭で畑をやったり、鶏も飼っていたそうです」とは学芸員さんの話。 

 この家に再現されているのは、昭和20~30年代。私は38年生まれだから、もう少しあとの時代になる。それでも、どこを見ても、何を見ても、懐かしい思い出が次々あふれ出て、興奮気味だった。ちゃぶ台に置かれていたアルミの弁当箱は、今も家で使っているし、木の文机やミシン(足踏みだったものを電動に変えてはいるが)も現役だ。新しいのものに変えればいいのだが、使い続けて古び、色あせ、手や部屋になじんできた、何ともいえない味わいに手放せないのだ。

 今は博物館として開放しているけれど、丁寧に使い直しながら少し前までご家族の方が住み続けていたのだそうだ。やはり家は、人が住み続けてこそ生き続ける。京都も古い空き家が増えているが、住み手のない家はあっという間に朽ちていく。京町家ブームで飲食店などの店舗に生まれ変わる家も多いが、それはちょっと違う気がする。単に入れ物として残すのなら、それも一つの方法なのかもしれないが。そこにはもう、暮らしがない。
 「昭和のくらし博物館」は、単に家やモノだけが保存されているのではなく、匂い、音、声までもリアルに残っているような気がする。家やモノにまつるわるいろんな物語が、いっぱいいっぱい詰まっている。




 
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by dodo-55 | 2012-07-26 10:34 |

ボラカイ島(フィリピン)が「世界で最も優れた島」に

 先日、東京からの帰りの新幹線の中で、何気なく電光ニュースを見ていたら、「ボラカイ島」という文字が目に入ってきた。次々と流れていく文字をもう一度読んでいくと、「米誌『トラベルレジャー』はフィリピンのボラカイ島を『世界で最も優れた島』として認定した」(日経ニュース)というものだった。

 あのボラカイ島が…と懐かしく思い出したのは、1996年(16年前!)の正月休みに友達と出かけた島だったから。ダイバーの友達が美しい海へ潜っている間、ダイビングに興味のない私は、スケッチブックを持って島のあちこちでひたすら絵を描いていた。
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興味深かったのは、市場で売られている野菜たち。日本と同じキャベツやダイコンもあれば、バナナブルソンと呼ばれるバナナの花、タマリンという酸味のある豆などもあり、絵心をそそられた。ヒレのようなものがついた野菜は、描いた当時は珍しかったが、最近ではレストランで食べたこともあるし、家庭菜園でも作られているシカクマメ(沖縄のうりずん豆)ではないだろうか。
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ドリアンやタロイモは、いかにも南国の雰囲気。もっとも、ここ数年の京都の暑さは亜熱帯並みだから、京都の八百屋で見かけても違和感ないかもしれないが。

ボラカイ島はフィリピン中部に位置するリゾート地。ニュースによれば、昨年のランキング4位からトップに浮上したらしい。ちなみに、2位以下はインドネシアのバリ、エクアドルのガラパゴス諸島、ハワイのマウイ島、オーストラリアのグレートバリアリーフと、おなじみの地名が続く。

当時のアルバムを久しぶりにめくってみる。南北に細長いボラカイ島は全長約7キロメートル。白いきれいな砂浜が延々と続く。その砂浜に寝そべって、チチャロン(豚の腸を油で揚げたもの)をつまみにサンミゲル(フィリピンのビール)を飲みながら読書。半日150ペソ(600円)でMTBを借り、島をサイクリングしてみたり。
正月休みをリゾート地でのんびり楽しんでいたようだ。

そうそう。確か、島で市長の息子と知り合い、「君は日本のどこから来たの?」と友人が聞かれて、私には「君はマニラから?」と言われたのだった。えっ?私も日本人ですけど!と言うと、「マニラかインドネシアの人だと思った」と言われた。現地の人並みに、いや、それ以上に黒かったから間違われても仕方がないか…。
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これが、当時の私。
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by dodo-55 | 2012-07-24 09:50 |